ファッションから挑戦

アラフィフになって随分落ち着いてきたなぁと感じます。それは言いかえると自分自身に変化がないということかもしれません。自分に慣れてしまっているとも言えます。自分のらしさは大切にしていますが、それだけでは平坦な人生で面白くはないのです。暮らしの中に小さな挑戦を取りいれるとどうでしょう。 自分らしさがが一番に現れるのはファッションではないでしょうか。 シャツとデニムのスタイルが好きな人は、それが一番しっくりときて落ち着きます。しかし、好きなシャツとデニムでしっくりと落ち着きますが、オシャレを楽しむとは少し違っています。アクセサリーは時計・ブレスレット・指輪・ネックレスなどが定番です。女性はピアスなんかもあります。持っているシャツに合わせ別のアイテムを買い足してみると1点アイテムを変えるだけで今までの自分とは違うイメージになります。いつもとは違うカラーを取り入れるのも楽しいかもしれません。自分らしさの幅を広げると楽しみも大きくなると思います。 今はどれにしようか迷うくらいに安くてオシャレなものがたくさん売られています。選ぶ時も楽しめるし、実際つけてみると気分が上がり、表情が明るくなった気がしました。小物で挑戦すると失敗してもダメージは小さいですので是非トライしてみてはいかがでしょうか。

自分らしくないことをして新しい自分を発見

アラフィフになって年相応でないこと、さらには自分らしくないことをすることによって、新たな自分を発見できます。「なんで今までこれをしなかったんだろう」という第2の人生が始まるのです。 30代は自分探しのときなどと、巷ではよくいわれています。ところが、50代になると、自分らしさにこだわってしまうものだと著者はいいます。50代は、世間からも年齢による落ち着きをもとめられる一面があります。 しかし、いつも同じで冒険がまったくない生き方はつまらないものです。いくつになっても人生を楽しむためには、攻めの姿勢が必要であると著者はいいます。攻めるとは、具体的にいえば「自分らしくないことをする」ことであるのだとか。 たとえば、買い物でいえば、いつもの自分らしいものと自分らしくないものの両方を買えば、その人のバリエーションが一気に広がります。自身のポテンシャルを引き出すためには、いつもとは逆の選択をしたときであるといえるでしょう。 アラフィフになっても、まったく手つかずでいる食わず嫌いの世界がいろいろとあるものですが、その世界に気づかないまま死んでいくのは怖いことだと著者はいいます。攻めの姿勢でさまざまなことにチャレンジしていくことで、50代は新しい世界を知ることができそうです。 アラフィフになると「老後のことが心配だから貯金している」という人が多いものです。貯金しているということは、体験をガマンしていることであると著者はいいます。貯金はなくても体験をたくさんしている人は面白い人になり、人生が豊かに。「あなたの話を聞きたい」とみんなが集まりだすのだとか。老後の貯金は必要なものですが、節約に固執して体験をおろそかにしてはいけないようです。

年下の先生から学べる人は成長する

アラフィフになると、今までのやり方に対して、ついこだわりがちです。30代のころは、先生は年上でした。アラフィフになると、30代とか40代、ひょっとしたら自分の子どもくらいの歳でも凄い人はたくさんいます。年下の凄い人から学んでいかないと、損です。50代で楽しめない人は、年下から学ぶことに抵抗があります。 アラフィフを楽しむためには、「年下の先生を持とう。」というものがあるのだとか。たしかに、20代や30代前半くらいまでは、教えてくれる人や立場がある人というものは、皆、年上でした。しかし、アラフィフになると、年下の上司、または年下でも自分より知識を多く持った人が多く登場します。年下であっても、あることに打ち込んできて、専門性を持った人は、まわりにたくさんいるものです。そういう人たちから学んでいこうという姿勢を持てるかどうかが、楽しいアラフィフにしていくコツであるといえるでしょう。 たとえば、何かを学びにいったスクールの先生がものすごく若い人だった場合、その先生から間違いを指摘されることがあります。そうしたときに、「なぜ年下に習わなければならないの? 」というジレンマに陥ってしまったら、そこで自身の成長は止まってしまうでしょう。習うとは、先生が知識を習得してきたプロセスをリスペクトしていくことだと著者はいいます。周りの人全員を先生だと思える人と、年上しか先生だと思えない人とでは、楽しいアラフィフになるかどうかが大きく変わってきそうです。

このまま人生が終わってしまっていいのだろうか

最近ペットボトルのキャップを力がなくて開けることが出来なかったり、10㎏のお米をスーパーから持ち帰る自信がなくて特売品を諦めたり、普段の生活に老いを感じることが増えました。私は人より元気、若い!大丈夫などという根拠のない自信はどこへやら。そう、もはや確実に人生の終わりに向かって歩いていると感じています。人生100年の時代。ほんとうに元気でいられるのは何歳までなのか?そしてこのまま人生が終わってしまっていいのだろうか・・・。 これは飲み会の席で仲間が話していたのですが、アメリカの老人ホームで死ぬ間際の人たちに、「今までの人生で後悔したことは何ですか?」 という質問をするドキュメンタリー番組を見ていた時のこと。そこで多くの方の口から出たのが「挑戦しなかったこと!」だそうです。 たぶんこれは ・受け取るだけの、受け身の人生だったこと ・うだうだ悩んで迷ってばかりで、結局やめたこと ・つい言い訳してなかなか行動しなかったこと ではないかと思うのです。 挑戦できなかったことといえば大袈裟かもしれませんが「行動できなかったこと」を悔やんで亡くなっていくのかもしれません・・・それは絶対に死んでも嫌だ!と思ったのです。 人生100年、50代以降の「未来」を変えるにはやはり現在の行動や考え方を変える必要があると思います。 「あれをやっておけばよかった」と後悔するくらいだったら、エイっと「やる」の選択肢を取った方が良いに決まっていますよね。 それが、今の状況を変える可能性のあることなら「やる」「行動する」選択肢以外、ないのではないかと思うのです。これまでの人生で本当に後悔することは何ですか?